川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

嚔(クサメ) 387 佐久間信盛

朝、善福寺川沿いを走ってきました。雨上がりの道を気持ちよく走りました。これから床屋に行こうと思っています。

「日本史1200人」387 佐久間信盛(?〜1582)

武将、大名。約30年間、織田氏家臣団の筆頭家老として家中を率いた。「退き佐久間」と謳われたが、むしろ織田軍の先鋒としての侵攻戦での手柄のほうが多く記録されている。信長上洛後には行政担当者の1人に選ばれ、大和国松永久秀を交渉で味方に付けたりもしている。しかし1580年、信長から19ヶ条にわたる「折檻状」を突きつけられ、軍団長と筆頭家老の地位を捨て織田家を離れた。実質的には追放であり、嫡男の信栄と少数の郎党達らと共に高野山へと上った。追放については「明智光秀の讒言があった」「信長はそれを知って後悔した」との記録があり、信盛死去の直後に信栄は家臣として帰参を許された。

「は?折檻!何が何やら嚔(クサメ)する 佐久間信盛 に 端遊」

嚔(クサメ)が12月の季語です。くしゃみです。折檻状は光秀の讒言説が濃厚ですが、確定ではないようです・・・ルイス・フロイスは信盛を「五畿内に於いて此の如く善き教育を受けた人を見たことがない」「思慮あり、諸人に対して礼儀正しく、又大なる勇士である」と記述しています。

習字は、「は?折檻」はキョトンと、「何が何やら」は訳が分からず、「嚔する」はバランス悪く、というつもりで書きました。


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