川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

隙間風 393 伊達稙宗

昨夜は近所の友だちと5人で楽しく飲みました。二晩続けて外で飲んだので、朝は起きられずランを休みました。先程、ブログのアプリが不具合になり、以後アプリ自体が開かなくなり慌てました。ネットの情報を参考にアプリを一旦アンイストールして、再度インストールしたらOKでした。

「日本史1200人」393 伊達稙宗(1488〜1565)

武将、伊達政宗の曽祖父。父の死去に伴い26歳で家督を相続して14代当主となった。将軍・足利義稙に多額の進物を送り家格を上げ、さらに婚姻外交を織り交ぜて勢力を急激に拡大し、周辺の大名を次々攻略した。1522年には室町幕府においては前例のない陸奥守護に補任された。1532年に居城を西山城(福島県桑折町)に移すと、徴税台帳を作り、171条に及ぶ分国法「塵芥集」を制定し体制の強化に努めた。塵芥は多数ということで、あらゆる方面にわたり網羅したという意味である。また、大崎氏の内乱鎮圧のため出動し、奥州・羽州の両探題職を伊達氏の統制下に置くことに成功した。しかし、長男・晴宗や家臣団との対立を次第に深め、家督を晴宗に譲って丸森城に隠居することを余儀なくされた。

「塵芥の法子に勝てず隙間風 伊達稙宗 に 端遊」

隙間風が12月の季語です。冬の隙間風はより寒く感じます。隠居所の・心の隙間風です・・・稙宗は鷹狩りの帰途を晴宗に襲撃され、一度は幽閉されましたが救出されました。そこで奥州諸侯を糾合して天文の乱が勃発しました。当初は優勢でしたが、味方が寝返ったことで不利に傾き、将軍・足利義輝の仲裁を受けて晴宗に降伏する形で和睦しました。

習字は、「塵芥の法」はサラリと、「子に勝てず」は強く、「隙間風」は弱く、というつもりで書きました。


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