川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

虎落(モガリ)笛 394 伊達輝宗

朝、晴れ間を見て善福寺川沿いを走ってきました。幸い雨には当たらずに済みました。

「日本史1200人」394 伊達輝宗(1544〜1585)

武将、伊達晴宗の次男、政宗の父。22歳の時に家督を譲られ伊達氏第16代当主となった。26歳頃から家中の統制を図り、31歳の時には中央の実力者である織田信長に鷹を贈り、北条氏政柴田勝家とも友好関係を構築した。さらに、対相馬戦では愛姫を嫡男・政宗正室に迎えて相馬方の切り崩しを図り、要衝・丸森城を奪還し、金山城をも攻略した。1584年に政宗に伊達家の家督を譲り舘山城に移った。1585年に、政宗二本松城主・畠山義継へ攻撃を加えた。義継は降伏を申し入れ、調停に謝意を表すとして輝宗を訪れ、帰り際に家臣に刀を突きつけさせ輝宗を捕えた。公式の記録では、輝宗が自分を撃てと叫び、伊達勢が一斉射撃を行い、輝宗と義継・家臣全員が死亡した。鷹狩中であった政宗が到着したのは全てが終わってからとしている。

「公式は自分を撃てと?虎落(モガリ)笛 伊達輝宗 に 端遊」

虎落(モガリ)笛が12月の季語です。北風が竹垣に当たると出る、笛のような寂しい音です。銃声の後に鳴っていたかな・・・輝宗の死については、現場に駆けつけた政宗の覚悟を察した義継が輝宗を刺殺した、政宗によって義継と輝宗は撃ち殺された、事件は輝宗を疎んじた政宗の謀略であった、との説もあります 。

習字は、「公式は」はそれなりに、「自分を撃てと?」は淡々と、「虎落笛」は大胆に寒く、というつもりで書きました。


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