川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

社会鍋 396 伊達成実

昨夜は背中がゾクゾクしたので、ルルを飲んで寝ました。朝は寒くて背中もチョッとゾクゾクでしたが、最後だと思い善福寺川沿いを走ってきました。明日、島に帰ります。

「日本史1200人」396 伊達成実(1568〜1646)

武将、大名。大森城主・伊達実元の嫡男として生まれ、15歳で家督を継ぎ、伊達勢の中核として活躍し数々の軍功を挙げた。ところがその後、成実は突如として伊達家を出奔した。城は政宗の命により接収され、抵抗した成実の家臣ら30人余が討死し家臣団は解体された。出奔中の1600年に関ヶ原の戦いが起こると、上杉景勝徳川家康からも配下に入るように誘いを受けたがこれを断った。同年、片倉景綱らの説得によって帰参し、白石城攻めにも参加して亘理城主となり、新田・塩田の開発に力を入れた。帰参後、政宗との関係も良好であったようで、政宗から成実への「別に用はないが、この頃逢っていないから手紙を書いた」という内容の書状も残されている。

「出奔と?家臣オヨヨの社会鍋 伊達成実 に 端遊」

社会鍋が12月の季語です。救世軍の歳末助け合いです。30人余が討死した家臣たちも社会鍋が必要だったろうな・・・出奔ついては、出奔の日付・出奔先・出奔の理由などが諸説あり、不明な点があまりにも多いです。秘密工作実行のために政宗の命を受けて出奔したというものもあります。

習字は、「出奔と?」は大胆に、「家臣オヨヨの」は弱く、「社会鍋」は悲しく、というつもりで書きました。


f:id:tanyuu4792:20231219093052j:image