川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

待春 417 北条氏綱

朝、雨が降っていたのでバイクを漕ぎました。シャワーを浴びて体重を測ったら55.1kgと先週より0.6kg減っていました。

「日本史1200人」417 北条氏綱(1487〜1541)

後北条氏第2代当主、戦国大名北条早雲(伊勢宗瑞)の嫡男。31歳の頃に家督を継承し、同時に虎の印判・調の印判を使用し始め、新しい支配体制に着手した。1524年に江戸城・ 扇谷上杉朝興を攻略し、武蔵への進出・制覇を開始した。1532年から鶴岡八幡宮の造営を開始し、さらに今川義元との戦い、河越城攻略などを通じて武蔵をほぼ征服した。1539年に鶴岡八幡宮が完成し、氏綱の権勢を内外に誇示するものとなった。「義を大事にすること、侍から農民までを慈しむこと、身の分限を守ること、倹約に勤めること、勝って兜の緒を締めること」の5カ条の家訓を書き置いた。

「5ヵ条と八幡宮ぞ待春じゃ 北条氏綱 に 端遊」

待春(タイシュン)が1月の季語です。陽光の春を待つ気持ちをいいます。北条家は絶頂期に向います・・・江戸城攻略に際し朝興から「他国の凶徒」と罵られたことから、氏を伊勢から北条に改めました。鎌倉幕府の執権北条氏にちなむこの改姓は、相模・武蔵の支配の正当性を主張するためのものとみられます。

習字は、「五ヵ条と」は強く、「八幡宮ぞ」は堂々と、「待春じゃ」は楽しく、というつもりで書きました。


f:id:tanyuu4792:20240119102026j:image