川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

しまき 416 北条早雲

今日は嫁さんの最後の読み聞かせの日です。合わせて工芸高校への入学も発表し、大成功だったと帰ってきました。工芸高校を卒業したら“小学校で教えたら”との言葉も頂き満面の笑みでした。僕はいつもの海沿いを嫁さんに負けないように走ってきました。

「日本史1200人」416 北条早雲(1432〜1519)

北条氏初代、関東の戦国大名、生前は伊勢新九郎長氏、入道して早雲庵宗瑞。初め足利義視に仕えたが、今川義忠の室となっていた妹・北川殿を頼って駿河に下り、義忠死後の家督争いを調停して、その功によって1487年に興国寺城の城主となった。東隣の伊豆国鎌倉公方足利政知の死後の後継者争いに乗じて、早雲が足利茶々丸を襲い伊豆国を一夜で乗っ取った1493年が戦国時代の始まりとされる。さらに、角に松明をつけた千頭の牛を山中に放つ計略で小田原城を奪い、3年の籠城戦を破って三浦半島・三崎城を落とした。相模国を制圧した早雲は検地を行い、貫高制(収穫量を貨幣量で示す税制)を採用した。これは戦国大名としては最古の事例といわれる。

「来いしまき!茶々丸飛ばせ牛を追え 北条早雲 に 端遊」

しまきが1月の季語です。風が吹きまくることです。早雲の戦はしまきのようだったろうな・・・早雲は年貢を五公五民から四公六民として農民の負担を軽減したといわれます。さらに分国法(戦国大名が制定した法律)の原形となる「早雲寺殿廿一箇条」を定めたとされます。

習字は、「来いしまき」はニヤリと、「茶々丸飛ばせ」はサラリと、「牛を追え」は強く、というつもりで書きました。


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