川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

種蒔 450 真田幸隆

朝、隣町に行き二人でいつものコースを走り、楽しくおしゃべりしてきました。嫁さんは昨夜は友達と本当に楽しかったようで、話がとまりませんでした。

「日本史1200人」450 真田幸隆(ユキタカ;1513〜1574)

真田幸綱が正式、戦国武将、武田家・家臣。出身は信濃の名族・海野氏で、武田信虎との海野平合戦でいったん所領を失うが、信濃に侵攻した武田晴信(信玄)に仕えて旧領・真田本城を回復し、真田氏の礎を築いた。信濃先方衆として第一次川中島合戦では最前線にあり、さらに甲相駿三国同盟に基づく北条氏康の出兵要請を受けて関東方面の戦略に関わった。第四次川中島合戦では、嫡男・信綱とともに上杉本陣への夜襲に加わり、その後も上杉氏方の諸城を攻略した。“攻め弾正”と呼ばれ、武田二十四将の一人として活躍した。

「他所(ヨソ)者は攻めの一手ぞ種蒔じゃ! 真田幸隆 に 端遊」

種蒔が3月の季語です。お家・子孫繁栄の種蒔です。一旦は武田家に追われ、そして仕えたよそ者は頑張らなくちゃ・・・54歳で病気のために家督を信綱に譲って隠居しました。このため、信玄の駿河侵攻や西上作戦には加わらず、もっぱら信濃北部及び上州方面の抑えとして活動しました。

習字は、「他所者は」は怪しく、「攻めの一手ぞ」は強く、「種蒔じゃ!」はそれなりに、というつもりで書きました。


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