川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

卒業 452 武田信繁

朝、海沿いを走ってきました。シャワーを浴びて体重を測ったら53.6kgと先週より0.4kg減っていました。

「日本史1200人」452 武田信繁(ノブシゲ;1525〜1561)

武田信虎の四男、信玄の同母弟。父・信虎は幼少期から信繁を寵愛して、嫡男・晴信(信玄)を廃し、信繁に家督を譲ろうとしていたが、信虎を追放するクーデターでは晴信に味方した。晴信の信頼を得て、武田二十四将における副将となり、諏訪侵攻や高遠頼継の反乱鎮圧では大将を務めたが、第四次川中島の戦いで討死した。信玄は戦死した信繁の遺体を抱くと号泣し、武田家臣団からも「惜しみても尚惜しむべし」と評された。99ヶ条に渡る「武田信繁家訓」は江戸時代の武士の心得として広く読み継がれ、信繁は「まことの武将」と評されるほど敬愛を集めた。

「父を追い心得遺し卒業じゃ 武田信繁 に 端遊」

卒業が3月の季語です。父を追放したり、心得を遺したりの人生も卒業じゃ!・・・信繁の死は、敵の上杉輝虎を始め、上杉家臣団からも死を惜しまれたといいます。もし信繁が生きていたら、信玄・義信父子の対立はなかったと言われるほどです。

習字は、「父を追い」は情けなく、「心得遺し」は礼儀正しく、「卒業じゃ」は人生半分、というつもりで書きました。


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