川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

目刺 458 村上義清

土曜日に無事東京に着き、早速嫁さんと近くの飲み屋さんで乾杯しました。日曜日は整理をしたり、買ったばかりのエレフエを吹いたりしました。今日の朝は、善福寺川沿いを走ってきました。

「日本史1200人」458 村上義清(ヨシキヨ;1501〜1573)

信濃戦国大名家督相続時には信濃の東部から北部を支配下に収め、村上氏の最盛期に当主となった。1548年、信虎を追放した武田信玄の攻勢を受けたが、上田原の戦いで撃退した。また1550年、高梨政頼と戦っていた隙に、信玄が侵攻してきた際には、高梨氏と和睦を結んで急遽反転し、大勝をおさめた。しかし後に、真田幸綱が武田家に仕官し、村上勢の武将切り崩し・調略を行うと砥石城が攻略され、義清の影響力は一気に低下した。1553年、義清は葛尾城を捨て、上杉謙信を頼って越後国に落ち延びた。村上氏の没落により、武田氏の勢力が謙信の本拠春日山城に近くにまで及び、川中島の戦いに続くこととなった。

「知らぬ間に家臣は目刺信玄め 村上義清 に 端遊」

目刺が3月の季語です。小さな鰯の目を五尾ぐらいまとめて竹串か藁で刺したものです。調略され目が見えなくなった家臣に掛けました・・・村上義清根知城主となり、嫡男・国清とともに上杉家臣となりました。国清は謙信の養子に迎えられて山浦姓を名乗り、上杉家第2位の地位を与えられました。義清は越後根知城にて病死しました。

習字は、「知らぬ間に」は弱く、「家臣は目刺」はそれなりに、「信玄め」は強く、というつもりで書きました。


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