川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

春闘 449 直江兼続

朝、海沿いを走ってきました。晴れて雨の心配がなかったので、いよいよ隣の草地に除草剤を撒きました。ウジャウジャといる野良猫の糞で、草取りが大変になったので撒くことにしたものです。

「日本史1200人」449 直江兼続(カネツグ;1560〜1619)

上杉家・重臣、米沢城主。22歳で上杉家の重臣直江景綱の娘と結婚して直江家を継いだ。上杉家の知将、上杉景勝の右腕として活躍し、豊臣秀吉からも高給で何度も誘いを受けた。秀吉の死後は豊臣側につき、徳川家康に「直江状」という挑戦状を送り激怒させ、関ヶ原の戦いのきっかけとなる会津征伐を決意させた。戦後は景勝とともに家康に帰順したが、上杉家は会津120万石から米沢30万石に減封された。兼続は家臣を見捨てることなく、米沢へ連れてきたという。

春闘は覚悟の前じゃ!直江状 直江兼続 に 端遊」

春闘が3月の季語です。春の労使交渉ですが、闘争として使いました。直江状の真偽は諸説ありますが、現存のものは過激です。兼続は征伐を見抜いて書いたのでは、ともいわれています・・・兼続は文武に優れ、古典にも精通していました。朝鮮から持ち帰った書籍や、蒐集した古書を利用して文庫を設立しましたが、これは後に米沢藩子弟の教育に使われました。

習字は、「春闘は」はスッキリと、「覚悟の前じゃ」は強く、「直江状」はクセを付けて、というつもりで書きました。


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