川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

田螺鳴く 467 遊佐慶親

朝、雨が降っていたのでゆっくり起きました。無線のイヤホン今度こそはと、アンカーのイヤホンを買いました。

「日本史1200人」467 遊佐慶親(ヨシチカ;?)

越中国守護の畠山氏の守護代、蓮沼城主。城は遊佐氏(遊佐徳盛?)が築き居城とした。連歌師の宗祇が越後に赴く途中に度々立ち寄り、千句の連歌を興行したと伝えられている。1504年〜1527年間に、城主・遊佐慶親が埴生護国八幡宮に108段の石段を寄進しているがこの後、慶親は加賀一向一揆勢力の圧迫に抗しきれず越後に亡命し、蓮沼城は遊佐氏の影響下から離れた。

「一向に負けたお殿と田螺鳴く 遊佐慶親 に 端遊」

田螺鳴くが3月の季語です。俳句の世界では、春愁に鳴くといわれますが鳴きません。農民に負ける殿も、鳴く田螺もすごく珍しいので・・・1585年、佐々成政豊臣秀吉との対決のために、蓮沼城を重要拠点としました。これをみた前田利家は電撃的に蓮沼城を急襲して城下共々焼き討ちしました。現在では、水田と散居村に囲まれて立派な石碑と案内板が建つのみで往時の面影はありません。

習字は、「一向に」は強く、「負けたお殿と」は弱く、「田螺鳴く」はサラリと、というつもりで書きました。


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