川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

剪定 459 村上国清

善福寺川沿いを走ってきました。寒かったのですがタイツと手袋のお陰で快適に走ることができました。嫁さんは女子美のワークショップに出かけて行きました。

「日本史1200人」459 村上国清(クニキヨ;1546〜1603)

戦国武将、上杉氏の家臣。1553年、父・村上義清と共に武田信玄に追われて越後国上杉謙信を頼ってその猶子となり、謙信の養女を娶り、後に当時断絶していた山浦上杉家を継いで山浦国清と名乗った。初め、客将として謙信に仕え、川中島の戦いなど各地を転戦した。謙信死後は上杉景勝に仕えて御館の乱の功績により、景勝から一字を与えられて山浦景国と名乗ることを許された。1582年には、海津城主となり父の旧領を回復した。しかし、元大名であったことが災いし、他国の大名・武将と書状を通じて交流していることで、他家と内通していると疑いを掛けられ、越後に召喚され、根知城主にさせられた。その際、旧村上家臣も散り散りにされたと言われる。

「婿殿は出世妬まれ剪定じゃ 村上国清 に 端遊」

剪定が3月の季語です。生育を保つ・形を良くするために枝を刈ることです。越後への召喚は家臣(枝)も刈られた剪定です・・・山浦家は後に国清の側室桂岩院の実家四辻家出身の山浦光則が家名を継ぎました。

習字は、「婿殿は」は弱く、「出世妬まれ」はそれなりに、「剪定じゃ」は悲しく、というつもりで書きました。


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