川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

春の虹 466 畠山義総

朝、善福寺川沿いを走ってきました。シャワーを浴びてすっきりして、佼成病院に行き大腸がん予後検診を受けてきました。結果はチョッと腎臓の機能が弱いけど異常なしでした。

「日本史1200人」466 畠山義総(ヨシフサ;1491〜1545)

能登守護大名戦国大名能登畠山氏の第7代当主。能登畠山氏の全盛期を現出した名君として知られる。24歳で家督を継ぎ、積極的な国作りを行ない、名城・七尾城を建設した。この七尾城は後に上杉謙信の攻撃を1年以上耐え切り、天下でも屈指の堅城として讃えられた。また七尾湾と富山湾の流通を支配し、宝達金山の開発にも取り組んだ。義総は文化人でもあり、戦乱を逃れて下向してきた公家や連歌師などの文化人を積極的に保護し、さらには商人や手工業者にも手厚い保護を与えて、義総治世の七尾城下町は、小京都とまで呼ばれるほどに発展したという。

「む!名城ほ!小京都と春の虹 畠山義総 に 端遊」

春の虹が3月の季語です。春にも虹はありますが淡く束の間で、義総の全盛期のようです・・・義総は病死し次男の畠山義続が継ぎましたが、義総が死ぬと重臣たちの主導権争いが始まり、畠山氏は衰退していきました。

習字は、「む!名城」はスッキリと、「ほ!小京都と」は明るく、「春の虹」は淡く、というつもりで書きました。


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