川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

ふふ鳥 526 松浦隆信

朝、海岸沿いを走ってから、隣家の方に伸びている枝や蔓を切り、洗濯をしました。今日も朝から一仕事でしたが、これでやっと落ち着きました。

「日本史1200人」526 松浦隆信(タカノブ;1529〜1599)

肥前国戦国大名、松浦氏25代当主。松浦氏の分家の平戸松浦氏に生まれ、14歳で家督を継ぎ肥前守に任じられた。平戸には明の商人や中国人の海賊が多く住み、海賊王・王直がポルトガル船を来航させたと言われる。隆信はこれを主君筋の大友義鎮に報告して南蛮貿易を開始した。貿易による巨万の富を築き上げた隆信は、領内でも鉄砲の製造を命じ、火薬の備蓄や鉄砲足軽の訓練に勤しんで、軍備を拡大して倭寇の拠点3ヵ所を制圧し北松浦半島を制圧した。1587年には豊臣秀吉の九州平定に参陣して所領安堵を許された。隆信は、弱小勢力に過ぎなかった平戸松浦氏を戦国大名へと躍進させて、近世への存続の道を切り抜けさせた名君であった。

「鉄砲はふふ鳥ふふふ自前ばい! 松浦隆信 に端遊」

ふふ鳥が6月の季語です。ポンポンと鳴くので筒鳥・ポンポン鳥とも言います。弱小なのに鉄砲自前は偉いばい!・・・隆信は中国の文物、名器を所有していたので、1588年に初めて京に上った際には秀吉に茶讌を所望されて、千利休と3人で、それぞれの茶器を披露しました。

習字は、「鉄砲は」はスッキリと、「ふふ鳥ふふふ」はそれなりに、「自前ばい」は自慢して、というつもりで書きました。


f:id:tanyuu4792:20240620114020j:image