川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

仏法僧 522 鍋島直茂

今日は嫁さんの学校の遠足なので、見送ってから善福寺川沿いを走ってきました。遠足は鎌倉だそうです。今日のランは疲れました。

「日本史1200人」522 鍋島直茂(ナオシゲ;1538〜1618)

戦国から江戸時代の武将、大名。龍造寺隆信の義弟であり、智将として名高い。1569年の大友宗麟の侵攻には籠城を、翌年の兵6万の猛攻には夜襲を進言して的中し、隆信軍を勝利に導いた。沖田畷の戦いで隆信が戦死すると肥前に帰り、隆信の嫡男・政家を支えて龍造寺家をまとめた。秀吉の朝鮮出兵には加藤清正のもとで参戦し信任を得た。関ヶ原の戦いでは息子の勝茂が当初西軍についたが、直茂は銀子500貫で米を買い付けさせて、徳川秀忠に買い占め米の目録を送り、関ヶ原の本戦以前に勝茂を戦線から離脱させた。そして直茂は東軍について、九州の西軍諸将と戦った。その戦功が認められて、直茂は佐賀藩35万7千石の藩祖となった。

「声正し仏法僧ぞ藩祖さま 鍋島直茂 に 端遊」

仏法僧(ブッポウソウ)が6月の季語です。深山幽谷に棲むコノハズクです。「一鳥よく一夜に五千声発す」といわれます。直茂も一生に五千声発したかな・・・直茂は龍造寺氏への遠慮があったためか、自らは藩主に就くことはなく初代藩主は勝茂となりました。そのため直茂は藩祖と称されます。

習字は、「声正し」は堂々と、「仏法僧ぞ」はスッキリと、「藩祖さま」は強く、というつもりで書きました。


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