川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

凍死 65 刑部親王

朝、隣町に行って二人でいつものコースを楽しく走りお喋りして来ました。宮城の実家の近くで起きた、雪による百台以上の自動車事故も話題になりました。中学校のグランドは全面芝生ですが、薄っすらと緑が生え、南風が吹いて来ました。

 「日本史1200人」の第65番の刑部親王(オサカベシンノウ?〜705)です。

天武天皇の皇子。忍壁皇子とも記される。696年、高市皇子が没すると、天武天皇の諸皇子の中で最年長の代表的存在となる。一方で、持統朝においては天皇に嫌われていたところを、藤原不比等の入知恵で甥の文武天皇擁立を支持し、ようやく政界復帰したとも言われている。文武朝に入ると、藤原不比等らと大宝律令の選定を命じられ、701年に完成させた。

「婆様の目ん玉ギロリ凍死かも 刑部親王 に感じて」

凍死が1月の季語です。天武天皇の皇子たちは「大津皇子のようになったらたまりません!」と持統天皇を恐がってたろうな・・・持統上皇崩御すると、若い文武天皇の補佐するために、親王太政官の統括者となります。

習字は、「婆様の」は強くクドく、「目ン玉」は軟らかいけど鋭く、「ギロリ」は強く、「凍死かも」は弱く、という感じで書きました。「様」と「の」はクドさを出すように、いろいろ書いてみました。


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