川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

早春 97 藤原冬嗣

 朝、太平洋を見下ろしながらロングランをして来ました。嫁さんは島のコロナ支援のクーポンを使い切るために空港に出かけ、無事お目当てを買って帰って来ました。

「日本史1200人」の第97番の藤原冬嗣(775〜826)です。

藤原内麻呂の次男。桓武朝・平城朝で活躍し、嵯峨天皇からも信頼され、810年の薬子の変に際しては、初代の蔵人頭(天皇の秘書官長)に任ぜら変を収拾する。嵯峨朝後半には親政体制の構築に尽力し、軍事面でも中心的な立場となり、藤原氏北家の繁栄の基礎を築いた。才能と度量があり、温和でゆったりとした性格であった。与えられた封戸を分けて貧しい人への施しを行い、光明皇后の発願で創立された施薬院の復興も行った。

「早春の氏(ウジノ)長者の千里眼 藤原冬嗣 に感じて」

早春が2月の季語です。「北家の繁栄の基礎」に掛けました。氏長者は平安以降の氏の首長の称です。藤原氏では摂関の地位に就いた人を意味します。冬嗣は一族をまとめる事にも心を砕き、821年に藤原氏子弟の教育機関勧学院を建立しました。

習字は、「早春の」はスッキリ、「氏長者の」は強く大きく、「千里眼」はとぼけて、というつもりで書きました。千里眼は遠くまでを見通す力として、真面目に書くつもりでしたが、字で川柳的に遊ぶのも有りだな、と思いつきました。確かに藤原氏北家は繁栄しましたが、トラブルも結構あります。


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