川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

春寒し 208 藤原頼長

 朝、雨なのでバイクを漕ぎました。嫁さんは小学校の習字指導の日ですが、バイクに乗らず歩いていきました。

「日本史1200人」208 藤原頼長(1120〜1156)

通称は宇治左大臣。兄の関白・忠通は、後継者に恵まれなかったために頼長を養子に迎えたが、実子が生まれると摂関の地位をこの子に継承させようとし、これが対立のもとになった。父・忠実の後押しにより藤原氏長者として執政の座につき、意欲に燃えて学術の再興・政治の刷新を目指したが、律令儒教の論理を重視して実際の慣例を無視する政治は苛烈で妥協を知らず、悪左府(あくさふ=左大臣)の異名を取り、その後は周囲と衝突を繰り返す問題児の態をなした。政敵の忠通・美福門院・信西らに追い詰められ、保元の乱で父・忠実と共に敗死した。

悪左府の問題児とな春寒し 藤原頼長 に 端遊」

春寒しが2月の季語です。地位は春、周囲は寒いです・・・忠通の子・慈円の著作「愚管抄」によると、かつて忠通に息子として育てられた恩を忘れられない頼長は、宮中で忠通に出会った際に丁重に会釈する等、礼を尽くすことで関係改善の糸口を探りましたが、父と兄の頑なな態度の前に失敗に終わっています。

習字は、「悪左府の」はスッキリと、「問題児とな」はガチャガチャに、「春寒し」は押されたように、というつもりで書きました。


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