川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

薄氷(ウスライ) 209 藤原通憲

 朝、久しぶりに晴れたので一人で海沿いを走って来ました。帰ると嫁さんが幼稚園の習字指導に行くところでした。

「日本史1200人」209 藤原通憲(?〜1159)

法名信西後白河法皇の側近。博学の人として知られたが家柄が低かったため栄進できず少納言で出家した。しかし、やがて鳥羽法皇の信任を得て、1156年に起きた保元の乱では、天皇方に勝利をもたらした。その後、後白河院政になると黒衣姿で辣腕を振るい始めた。やがて院政派と親政派は政治路線の違いを抱えながらも、信西打倒に向けて動き出すことになる。最大の軍事貴族である平清盛は中立的立場にあった。1159年、清盛が熊野詣に出かけた隙をついて反信西派は襲撃した(平治の乱)。信西は事前に危機を察知して避難し、郎党に命じて竹筒で空気穴をつけて土中に埋めた箱の中に隠れていたが、掘り返され自ら首を突いて自害した。掘り起こした時には、目が動き息もしていたという。

「薄氷(ウスライ)に驕る坊主が舞踊り 藤原通憲 に 端遊」

薄氷(ウスライ)が2月の季語です。やがて溺れる予感です。出家をしても信西は俗界から離れる気はなく、「ぬぎかふる 衣の色は 名のみして 心をそめぬ ことをしぞ思ふ(出家して墨染めの衣に着替えても、それは名ばかりのことで心まで染めるつもりはない)」とその心境を歌に詠んでいます。

習字は、「薄氷に」はスッキリと、「驕る坊主が」は強く、「舞踊り」は大胆に少しコケて、というつもりで書きました。


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