川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

風花 196 源義仲

 朝、一人で海沿いを走って来ました。15℃とこの冬一番の寒さ?でしたが、 風が弱かったので快適に走ることが出来ました。島でもジワジワとコロナの感染者が増えてきたようです。

「日本史1200人」196 源義仲(木曽義仲;1154〜1184)

以仁王からの令旨を受け、最初に上洛を果たした。倶利伽羅峠の戦いでは、牛の角に松明(タイマツ)を付けて敵の陣中に放つ奇襲が成功した。しかし京の飢饉にあって武士たちの乱暴・略奪が横行し、朝廷事情が不明な義仲が皇位継承に口出したためもあり、後白河法皇や頼朝と決裂していった。追いつめられた義仲は、ついに法皇を襲撃して、一時は法皇の幽閉に成功する。しかし1184年1月、頼朝の命を受けた義経・範頼軍と宇治川の瀬田で対戦して惨敗し、続く粟津の戦いで敗死した。

「風花や翳(カザ)せ松明さらば京 源義仲 に 端遊」

風花が1月の季語です。晴れた日に雪がちらついてくることです。田舎者と言われ、京を去った義仲をカッコよく歌いました。義仲の墓所は、室町時代に没地近くに開かれた朝日山義仲寺(滋賀県大津市)にあります。義仲寺は江戸時代の俳人松尾芭蕉の墓があることでも有名な寺です。芭蕉はかねがね義仲の生涯に思いを寄せ、義仲の隣に葬って欲しいと言っていました。

習字は、「風花や」はフワリと、「翳(カザ)せ松明」は燃えるように、「さらば京」はサラリと、というつもりで書きました。


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