川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

ムツ五郎 238 和田義盛

 朝、霧雨が降っていたので、隣町のランは休みにし、バイクを漕ぎました。シャワーからあがると晴れ間が見えてきました。

「日本史1200人」238 和田義盛(1147〜1213)

三浦氏の一族、初代侍所別当鎌倉幕府成立の功臣で平氏追討や比企氏の乱平定などに参加する。源頼家専制を抑えるために始められた13人の合議制のひとりに列し権力を持つが、その単純・愚直さを2代執権・北条義時に利用され、挑発を受けて挙兵に追い込まれた。和田方が意外な大軍となり、これを恐れた義時は将軍実朝の名で御教書を発した。これに応じた多くの御家人による幕府軍は和田一族を次々と討ち、愛息・義直も討ち死にした。老いた義盛は声をあげて悲嘆号泣し、そこに郎党が襲いかかり、遂に和田一族は滅亡した。

「煽られて跳ねて泥んこムツ五郎 和田義盛 に 端遊」

ムツ五郎が3月の季語です。大口になり、全身で飛び跳ねる姿は、挑発を受けた義盛のようです。その目は、何だか号泣もしそうです・・・義盛は弓の名手であり、武勇において御家人の尊敬を受ける人物でした。現在の鎌倉彫椿堂の辺りに邸宅がありました。義盛が戦死した由比ヶ浜には、現在でも「和田塚」という地名が残っています。

習字は、「煽られて」はサラリと、「跳ねて泥んこ」は大胆にはみ出るように、「ムツ五郎」はチョット悲しく、というつもりで書きました。


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