川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

種蒔く 239 梶原景時

 朝、二度寝したら1時間半も遅く起きてしまいました。知らない人がいっぱい出てくる、その人達といろんなことをする自分の夢を三っつも見ました。そのせいか海沿いのランはすごく疲れました。

「日本史1200人」239 梶原景時(?〜1200)

侍所所司、厩別当。教養のある頼朝の側近で和歌を好んだ。石橋山の戦いで頼朝を救ったことから重用されたが、義経とはしばしば対立した。景時の讒言には源義経のほか夜須行宗と畠山重忠の例がある。さらに頼朝の死後、頼家と有力御家人との対立が続き、これを嘆いた結城朝光を、頼家への誹謗であると讒言した。これを知った御家人たちは怒り、景時排斥を求める連判状を頼家に提出すると、景時は弁明せずに一族とともに退いた。後に、一族を率いて上洛の途中、在地の武士たちと戦闘になり、一族33人が討ち死にした。

「讒言は何の種蒔く人を巻く 梶原景時 に 端遊」

種蒔くが3月の季語です。讒言の種は大方は悪でしょうか・・・「人を巻く」は多分に語呂合せですが「煙に巻く」と「縄で巻く」を掛けました。景時は、かつては源義経と対立した敵役として、讒言によって人を陥れる人物としてイメージされていました。しかし近年は、教養があり主君に忠実で事務能力に優れた、官僚的人物と評価が定着しつつあるそうです。

習字は、「讒言は」はサラリと、「何の種蒔く」は強く、「人を巻く」は煙に・縄で巻くように、というつもりで書きました。


f:id:tanyuu4792:20220331101721j:image