川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

春の駒 247 畠山重忠

朝、一人で海沿いを走って来ました。どうしてか足が重くて、やっと最後に元気が出ました。 

「日本史1200人」247 畠山重忠(1164〜1205)

有力御家人。頼朝に従い、戦場で常に先陣を切り活躍する。「坂東武士の鑑」と称された。一ノ谷の戦いでは、源義経と共に鵯越の逆落としの奇襲に参加したが、埼玉県の畠山重忠公史跡公園には、馬を損ねないように、背負って崖を駆け下りたという姿が銅像として残っている。頼朝の死後の1204年、重忠の息子の重保が北条時政の後妻・牧の方の娘婿である平賀朝雅と酒席で争った。牧の方はこれを恨みに思い、重忠謀反を訴えさせ、将軍・実朝は討伐を命じた。数万騎が自分に差し向けられたことを知った重忠は覚悟を決め、わずかな兵で奮戦し討ち死にした。

「背負われて恥ずかし怖し春の駒 畠山重忠 に 端遊」

春の駒が4月の季語です。一ノ谷の戦い新暦の3月20日です。人望のあった重忠を殺したことで、時政と牧の方は御家人たちから憎しみを受けることになり、同年、時政と牧の方は失脚して伊豆国へ追放され、平賀朝雅は殺されました。

習字は、「背負われて」はとまどって、「恥ずかし怖し」は意味のように、「春の駒」は強く、というつもりで書きました。


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