川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

木下闇 296 足利直義

 土曜日は中新田の従兄達と叔母の家にお邪魔し、日曜日は古川の従兄妹に会い、宮城の合計8軒の父母の兄弟宅を回る旅を終えました。金曜日と土曜日の夜は実家で兄と飲み、日曜日の夜はクラス会に出席して楽しい一夜を過ごしました。また、土曜・日曜そして今日の朝はホテルから父母の寺まで走り墓参りをして来ました。これから東京に向かいます。

「日本史1200人」296 足利直義(1306〜1352)

足利尊氏の弟。幕府成立後は副将軍として政務を担当し、公家や寺社勢力とも折り合いをつけていたが、革新派の高師直との間で対立関係が発生し、観応の擾乱という武力闘争に発展したが、最終的には実兄の尊氏に敗れた。鎌倉に蟄居の後、政敵の師直が暗殺された丁度一年後に急死した。直義は冷静沈着な人物であったとされる。汚いやり口を嫌う兄の尊氏に代わって、自ら手を汚す役割を務めたともされ、親王の暗殺や天皇に対する背反行為などは尊氏ではなく、直義が果たしたものとされている。

「暗殺も背反も良し木下闇 足利直義 に 端遊」

木下(コシタ)闇が6月の季語です。日向から木々の下に行くと、一瞬闇の中に入ったようです・・・直義は武家歌人として史上初めて政治を詠んだ歌が勅撰和歌集に収録されました。武人の政治詠歌は勅撰集にとられない慣例でしたが、光厳上皇の直義への信頼と幕府への依存などが指摘されています。

習字は、全体に粘っこく汚い感じにしましたが、五七五毎の変化は忙しくて付けられませんでした。


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