川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

法師蝉 328 上杉憲実

 朝、隣町に行き、二人でいつものコースを楽しく走り、おしゃべりして来ました。待っていた黒大豆とランシューズが届きました。

「日本史1200人」328 上杉憲実(1410〜1466)

守護大名関東管領鎌倉公方足利持氏を補佐した。籤引きで足利義教室町幕府6代将軍に就任した際、持氏は将軍後継の候補に選ばれなかった事に不満を持ち、兵を率いて上洛しようとするが、憲実はこれを諫止した。また、持氏が幕府の改元を無視すると謝罪の使節を派遣するなど、憲実は鎌倉府と幕府との調停に努めたが、持氏と憲実は確執が生じるようになっていった。1438年、持氏の嫡子の元服を契機として、持氏は憲実を討伐しようとするが、幕府は憲実の側につき、持氏は自害した(永享の乱)。

「熟々(ツクヅク)と待った待ったと法師蝉 上杉憲実 に 端遊」

法師蝉が8月の季語です。つくつくぼうしのことです。熟々は「念を入れ考える」の意味で使いましたが、「つくねんと、物寂しく」も合っていると思いました。憲実は後年の諸国行脚について「主を裏切ったことへの罰」と述懐していました。憲実にとっては足利義教足利持氏は共に主でした。また、足利学校(栃木県)や金沢文庫(神奈川県)を再建したことでも知られています。

習字は、「熟々と」は長く、「待った待ったと」は強弱をつけて、「法師蝉」は弱く、というつもりで書きました。


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