川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

山眠る 404 相馬盛胤

朝、今日も雨だったのでバイクを漕ぎました。シャワーを浴びて体重を測ったら54.9kgと先週より0.8kg減っていました。今年のブログはこれが最後です。ありがとうございました。良いお年をお迎え下さい。

「日本史1200人」404 相馬盛胤(1529〜1601)

相馬氏第15代当主、14代当主相馬顕胤の嫡男。母は伊達稙宗の娘、妻も伊達氏一族の娘で、伊達氏とは深い血縁関係を結んでいた。しかし1542年に起こった伊達稙宗・晴宗親子による「天文の乱」のために両氏は3代にわたる死闘を演じた。1576年には伊達輝宗・盛胤の両軍ともに互いの領地へ攻め込むなど戦いは激化した。1578年に越後の上杉謙信が急死して家督争いが勃発すると両氏は休戦し、同年盛胤は家督を嫡男・義胤に譲り隠居した。晩年、盛胤は伊達政宗への服属を提案したが、義胤は自害か討死を主張したため、自身も切腹することを表明した。しかし、翌年、豊臣秀吉小田原征伐が始まったため、伊達氏の侵攻も中断され、相馬氏は秀吉に所領を安堵され、近世大名として生き延びることができた。

「万感は戦いの中山眠る 相馬盛胤 に 端遊」

山眠るが12月の季語です。無彩色の冬山は深く眠ったようです。盛胤の生涯はまさに戦いの連続で、最後は関ヶ原の戦いの中でした・・・盛胤が切腹すると表明したことを伝え聞くと、領内全土から侍だけでなく町人・百姓など総勢2000人が、死の供として誓約をしたためて集まりました。

習字は、「万感は」は強く、「戦いの中」はスッキリと、「山眠」は静かに、というつもりで書きました。


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