川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

鰭(ヒレ)酒 400 蘆名盛高

土曜日・日曜日と寒かったので、腰にホカロンを貼って過ごしました。朝はいつものように海沿いを走ってきました。

「日本史1200人」400 蘆名盛高(1448〜1518)

蘆名氏第13代当主、会津黒川城主、父は12代当主・蘆名盛詮。18歳で父の死により家督を相続する。31歳の時に土豪・渋川義基を滅ぼして勢力を拡大し、後に伊達尚宗が領内から避難して来たときにはこれを助けた。さらに家中の反抗勢力を次々滅ぼし、蘆名氏を戦国大名に押し上げた。しかし、次第に子の盛滋と不仲になり、1505年にはついに戦いとなった。敗れた盛滋は伊達尚宗の下に逃れたが、盛高は後に盛滋の罪を許して帰国させた。下野国への進出を狙い戦国大名・宇都宮成綱とも戦った。死去後は、盛滋が家督を相続した。

「勝つぞ行け!会津誉の鰭(ヒレ)酒じゃ 蘆名盛高 に 端遊」

鰭(ヒレ)酒が12月の季語です。河豚の鰭を炙って熱燗に入れた、ぜいたくな酒です。盛高は会津誉、お酒は会津ほまれです・・・蘆名家第18代当主・盛隆、第20代当主・盛重、盛重と蘆名氏当主の座を争った伊達政道らは、全て盛高の玄孫(ヤシャゴ)です。

習字は、「勝つぞ行け!」は強く、「会津誉の」は堂々と、「鰭酒じゃ」は楽しく、というつもりで書きました。


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