川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

お歳暮 401 蘆名盛滋

昨夜は3組の夫婦で楽しくお酒を頂きました。最後にジョッキで飲んだウィスキーが効いたようで、今日のランは休みました。

「日本史1200人」401 蘆名盛滋(1482〜1521)

蘆名氏第14代当主、会津黒川城主、父は第13代当主・蘆名盛高。武勇に優れ、18歳の時には父に従って猪苗代盛頼を討っている。しかし次第に父・盛高と対立を深め、1505年に重臣・松本氏の支援を受けて盛高と合戦に及んだが、敗れて伊達尚宗の下に逃走した。後に盛高と和解して帰国し、盛高の死により家督を相続した。1520年には伊達稙宗の援軍として上山城主・最上義房と戦っている。隠居後、弟の盛舜が家督を相続したため、隠居中に生まれた実子・盛幸は別家・針生氏を興した。

「頭下げ父にお歳暮子は別家(ベッケ) 蘆名盛滋 に 端遊」

お歳暮が12月の季語です。お歳暮ぐらいでは帰国できなかったかな。子の盛幸にも後を継がせることができなくて「ごめん!」くらいは言ったかな・・・盛滋の生没年には異説が多く、生年には1463年説もあり、没年には1540年説もあります。

習字は、「頭下げ」は悲しく、「父にお歳暮」はそれなりに、「子は別家」は寂しく、というつもりで書きました。


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