川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

雪催(モヨイ) 402 蘆名盛氏

朝、海沿いを走ってきました。久しぶりに暖かく、Tシャツ・短パンで走りました。

「日本史1200人」402 蘆名盛氏(1521〜1580)

蘆名氏第16代当主、父は第15代当主・蘆名盛舜。16歳で伊達稙宗の娘を正室に迎え、20歳の時に父から家督を譲られた。山内氏を討って会津における勢力を拡大し、伊達氏の天文の乱では稙宗方から晴宗方に転じて勝利に終わった。この後、本格的に中通りへの進出を開始したが容易には進まなかった。40歳で家督を嫡男・盛興に譲って、剃髪して止々斎と号したが、隠居後も政治・軍事の実権を掌握した。さらに盛興が29歳で急死した際には、人質としていた二階堂盛隆に盛興未亡人を娶らせて家督を継がせた。その後も勢力の拡大を図ったが、新当主・盛隆と重臣たちとの不和や、長年の抗争による戦費不足などにより、晩年には力を失いつつあった。

「家名じゃ!と老いの一徹雪催(モヨイ) 蘆名盛氏 に 端遊」

雪催(モヨイ)が12月の季語です。空がどんよりし、雪が降り出しそうな天気です。家名は家の名声ですが、回りは皆んな疲れているようです・・・盛氏は側室を持たず、生まれた男子は嫡男・盛興ただ一人でした。側室を持たなかった意図は判然としませんが、「近代的な清潔感がある」と評されています。

習字は、「家名じゃ!と」は力んで、「老いの一徹」は強く、「雪もよい」はサラリと、というつもりで書きました。


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