川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

千両 413 二階堂盛義

朝、海沿いを走ってきました。今夜は隣町の友と新年会をする予定で、楽しみです。

「日本史1200人」413 二階堂盛義(モリヨシ;1544〜1581)

須賀川二階堂氏7代当主、陸奥国戦国大名会津四郡を支配する蘆名氏や、田村郡を支配する田村氏と所領をめぐって度々戦いを繰り広げた。1566年、蘆名父子によって支城を攻め落とされ、嫡男・盛隆を人質として差し出すことで和睦し、以後は蘆名氏の旗下に入った。1574年に蘆名氏の嫡男が早世したため、人質であった盛隆が後継者として蘆名氏を継いだ。これにより二階堂氏も田村氏との戦いに勝利するなどして勢力を拡大した。ただし、この合戦で負傷したらしく、突然温泉療養に向かって指揮を代わっている。勇猛果敢な大名としてよりは能吏的・文化的な大名であったと伝えられる。

「いよ倅(セガレ)千両役者!宜しっく 二階堂盛義 に 端遊」

千両が1月の季語です。冬に赤く美しい果実をつける小低木です。人質の身で大出世の倅にお世辞言わなくっちゃ・・・盛義は1581年に死去しましたが、その3年後に盛隆が暗殺されると再び二階堂氏は衰退し、1589年に伊達政宗によって滅ぼされました。

習字は、「いよ倅」は嬉しく、「千両役者!」は大胆に、「宜しっく」は少し媚びて、というつもりで書きました。


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