川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

初夢 407 松前慶広

朝、海沿いを走ってきました。帰って、シャワーを浴びて体重を測ったら55.9kgと先週より1.0kg増えていました。正月太りです。

「日本史1200人」407 松前慶広(ヨシヒロ;1548〜1616)

蝦夷松前藩の初代藩主。三男として誕生したが、長兄・次兄が相次いで毒殺されたため、34歳で父の隠居により家督を継いで当主となった。1590年に豊臣秀吉小田原征伐を終え奥州仕置を始めると、前田利家らに取りいって、秀吉に謁見を果たし所領を安堵され任官された。朝鮮出兵を前に秀吉は「狄の千島の屋形」が遠路はるばる参陣してきたことを喜び、蝦夷での徴税を認める朱印状を与えた。慶広は朱印状をアイヌ語に翻訳し「命に背くと秀吉が10万の兵で征伐に来る」と伝え、全蝦夷地の支配を確立した。秀吉が死去すると、徳川家康と誼を通じ「蝦夷地図」を献上した。1604年には家康より黒印制書を得てアイヌ交易の独占権を公認された。

「初夢は蝦夷地のあがり!朱印状 松前慶広 に 端遊」

初夢が新年の季語です。正月二日の夜に見る夢です。朱印状は喉から手が出るほど欲しかったろうな・・・アイヌ語「マトマエ」由来の地名である「松前」に因んで、慶広とその子供たちのみ苗字を松前に改めました。また、1610年と1612年の二回にわたり、徳川家康に海狗腎(オットセイ)を献上しています。

習字は、「初夢は」はすまして、「蝦夷地のあがり」は意地悪く、「朱印状」は強く、というつもりで書きました。


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