川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

冬深し 423 上杉憲房

朝、海沿いを走ってきました。嫁さんの工芸高校の入学書類が思ったより面倒のようで、早期に東京に行きそうな気配です。

「日本史1200人」423 上杉憲房(ノリフサ;1467〜1525)

山内上杉家13代当主、戦国大名関東管領。上杉憲実の子で僧籍にあった周清の子として誕生した。又従兄弟にあたる関東管領上杉顕定の養子となったが、古河公方足利成氏の次男・顕実が顕定の養子になると、憲房は後継者から外された。顕定と共に越後・長尾為景を討つため出陣したが、顕定が戦いで戦死すると撤退した。憲房は顕実と争って勝利し、山内上杉家家督を継ぎ、関東管領職をも継いだ。しかし家臣の離反、扇谷上杉、相模・北条氏綱、甲斐・武田信虎などとの長年の抗争による不安定な情況の中で病に倒れ死去した。

「坊主の子管領を奪(ト)る冬深し 上杉憲房 に 端遊」

冬深しが1月の季語です。管領職を得ても抗争に明け暮れて、冬は深いな・・・実子・憲政は幼少のため、先に養子として迎えていた憲寛が跡を継ぎましたが、憲房と顕実同様に憲政と憲寛の間でも争いが繰り広げられ、結局は憲寛を追放した憲政が家督を継ぎました。

習字は、「坊主の子」はすまして、「管領を奪る」は大胆に、「冬深し」は静かに、というつもりで書きました。


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