川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

屠蘇 411 大宝寺義氏

朝、海沿いを走ってきました。老いとの闘いで走ってるのかな、と思いながら帰ってきましたが、ユーチューブで手話で第九を歌う人たちの練習風景を見たら、しっかりしなきゃと思いました。

「日本史1200人」411 大宝寺義氏(ヨシウジ;1551〜1583)

大宝寺氏17代当主、戦国大名。長男として誕生したが、この頃は仙北の小野寺氏や越後の上杉氏と通じることで命脈を保つほどに落ち込んでいた。義氏は20歳の時、家中を軍政の面で縛り上げ、出羽のうち3郡を手中に収めるなど往来の勢力を復権させた。頼みとしていた上杉謙信が急死した際には、天下人であった織田信長に馬や鷹を献上して誼を通じた。屋形号を許されるなどの栄誉を受け、義氏の威光は大きなものとなったが、度重なる遠征の失敗で将兵達を厭戦気分にしてしまった。さらに本能寺の変織田信長が横死し義氏の権威は失墜した。折り悪く最上氏・安東氏が同盟を結び、小野寺氏からは援軍を得られず、大敗を喫して荘内へと退却し、家臣からも裏切られて自害した。

「お屠蘇無し!の軍政ほら負け戦 大宝寺義氏 に 端遊」

屠蘇(トソ)が新年の季語です。延命長寿を願って正月に飲む酒です。頭ごなしに禁止!と言われたら・・・課税や兵役が増えた事で民心は離れ、反感を抱く者達から次第に悪屋形と渾名されるようになっていきました。

習字は、「お屠蘇無し!」はすまして、「の軍政ほら」はそれなりに、「負け戦」は弱く、というつもりで書きました。


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