川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

初音 433 三浦道寸

土曜日に待望のルーターが来たのですが、夕方以降に繋がりが悪くなること、バッテリーの持ち時間が短いこと、などちょっと問題ありです。朝はいつものように海沿いを走ってきました。

「日本史1200人」433 三浦道寸(ドウスン;1451〜1516)

三浦義同(ヨシアツ)が本名、相模三浦氏の事実上の最後の当主、戦国時代初期の大名。扇谷上杉家から、三浦時高の養子に入るが実子・高教が生まれたため不和となった。後に時高・高教父子を滅ぼし、当主の座を手に入れ、実子の義意に家督を譲って、自らは岡崎城に拠った。1495年に小田原城の大森藤頼(道寸の叔父)が北条早雲に城を奪われた。道寸は1510年に小田原城を攻めたが、1512年に早雲が岡崎城を攻めた。道寸は三浦半島の新井城まで退却し、攻撃を3年間に渡って凌いだが、ついに落城して家臣ともども討ち死にした。港一面が三浦家主従の遺体によって血に染まり、油を流したようになったことから、同地が油壺と名付けられたと伝わる。三浦市三崎町に道寸の墓が残る。

「三年の籠城夢か初音聞く 三浦道寸 に 端遊」

初音が2月の季語です。その年最初の鶯の鳴き声です。籠城が夢か初音が夢か・・・歌人・東常縁の指導を受けたともいわれている道寸は、「うつものも 討たるる者も かはらけよ くだけて後は もとのつちくれ」という辞世の句を詠んで切腹しました。

習字は、「三年の」は苦しく、「籠城夢か」はそれなりに、「初音聞く」は夢のように、というつもりで書きました。


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