川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

目張り剥げ 448 上杉景虎

朝、海沿いを走ってきました。走る前から足が攣りそうだったので、ゆっくり走ったらそれも楽しいものでした。

「日本史1200人」448 上杉景虎(カゲトラ;1552〜1579)

北条氏康の7男、幼名・三郎、上杉謙信の養子。1569年、越後上杉氏と北条氏の越相同盟により、三郎は謙信の養子となり、さらに謙信の姪(景勝の姉)と祝言が行われ、「景虎」の名を与えられた。謙信の急逝後は、義兄弟の上杉景勝家督を巡って大きな内紛に発展した。当初は実家の北条家と武田家の後ろ盾もあり優勢であったが、景勝がいち早く春日山城本丸を奪取したため、景虎は妻子らを連れて城下にある「御館」に立て籠もった。やがて、武田家・北条家には撤兵が必要となり、景勝はこの機を逃さず攻勢をかけ御館は落城した。孤立無援となった景虎は、実家の北条氏を頼って小田原城に逃れようとしが、途上において家臣の裏切り・謀反に遭い自害した。

「目張り剥げ御館落ちてむッ謀反? 上杉景虎 に 端遊」

目張り剥ぐが3月の季語です。寒い北風を防ぐ目張りを“剥ぐ"ことですが、句では自動詞の“剥げ”として“後ろ盾が剥げ”ということにしました・・・景虎正室実弟・景勝の降伏勧告を拒絶して自害し、嫡男・道満丸も何者かに殺害されました。

習字は、「目張り剥げ」は情けなく、「御館落ちて」はそれなりに、「むッ?謀反」はどうして?、というつもりで書きました。


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