川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

鷽 456 飯富虎昌

朝、海沿いを走ってきました。今週は冷蔵庫を整理するので、野菜をいっぱい食べているのですが、そのせいか快適に走れました。

「日本史1200人」456 飯富虎昌(オブトラマサ;1504〜1565)

戦国武将、甲斐武田氏重臣武田信虎の時代から武田家の譜代家老衆として仕え、信濃国佐久郡内山城を領した。信虎追放後は信玄に仕え、武田軍団の中核となって信玄を支えた。彼の率いる部隊は全員が赤い軍装で揃えられ、赤備えの先駆けとして名を馳せた。1553年に内山城を上杉謙信の軍8000に囲まれた時には、僅か800の手勢で撃退した。信玄の嫡男・武田義信の傅役(モリヤク)を務めたが、対今川氏の方針をめぐって信玄父子の間で対立を深めると、弟の山県昌景の密告により、虎昌は義信を担いで謀反を企んだとして捕らえられ、責任を取らされる形で自害した。

「虎だもの傅役なんてね鷽でしょ 飯富虎昌 に 端遊」

鷽が3月の季語です。春の深山で美しく囀ります。嘘っぽいダジャレです。傅役(モリヤク)は名誉の役ですが、虎昌は苦手だったかな・・・虎昌の剛勇は「甲山の猛虎」と呼ばれて敵味方から恐れられ、武田二十四将の一人に挙げられました。

習字は、「虎だもの」は強く、「傅役なんて」は弱く、「ね鷽でしょ」はそれなりに、というつもりで書きました。


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