川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

氷雨 513 香宗我部親泰

土曜日と日曜日は「ホームレス歌人のいた冬 三山 喬」を読み、口笛の練習をしました。朝は、いつものように善福寺川沿いを走ってきました。

「日本史1200人」513 香宗我部親泰(チカヤス;1543〜1593)

戦国から安土桃山時代にかけての武将、長宗我部氏の家臣、長宗我部国親の三男。1558年に父の命によって香宗我部親秀の養子となり、1569年に安芸城主となった。兄・元親に従って各地を転戦し、外交にも秀でて1580年には安土城織田信長と拝謁し、三好氏との和睦を求めたりした。本能寺の変後も兄の四国統一に尽力した。信長の死後も柴田勝家徳川家康と通じて四国平定を有利に進めたことは、全て親泰の手腕によるものであった。しかし1592年、文禄の役に赴く途上にあった嫡男・親氏が急死し、自身も朝鮮半島に赴く途上の1593年に長門で兄に先立って急死した。その死は長宗我部氏にとって大きな痛手であった。

「朝鮮に死出の旅かと氷雨降る 香宗我部親泰 に 端遊」

氷雨が6月の季語です。夏の雷雨に混じって降ります。親泰の死は12月なので、6月の季語では難しいです・・・親泰の死で元親を補佐・諫言できる者がいなくなり、その後元親は暴走を繰り返して長宗我部家は衰退し、元親の没後には改易となりました。

習字は、「朝鮮に」はスッキリと、「死出の旅かと」はそれなりに、「悲雨ふる」は寂しく、というつもりで書きました。


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