川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

菊を挿す 512 三好義賢

朝、雨なのでランは休みました。嫁さんは他の学科の生徒さんともイッパイ友だちになっているようです。

「日本史1200人」512 三好義賢(ヨシカタ;1527〜1562)

戦国時代の武将、細川氏の家臣、三好元長の次男。兄・三好長慶は当主・細川晴元に、義賢は晴元の弟で阿波細川家の当主・持隆に仕えた。兄・長慶の勢力拡大に従って転戦し、三好家の四国方面の政治・軍事を担当した。1553年、持隆を自害に追い込み、その子・細川真之を当主として擁立し、反抗勢力を打ち破り、阿波細川家を完全に掌握した。しかし義賢を憎む者・妬む者が少なくなく、その者達との暗闘を強いられ、完全に阿波を掌握することは出来なかった。その後も転戦し河内の守護を任されたが1562年、紀伊国根来衆の援助を得た畠山高政の反撃を受け、久米田の戦いで戦死した。跡を子の三好長治が継いだ。

「眼前の敵が悪じゃ!と菊を挿す 三好義賢 に 端遊」

菊を挿すが5月の季語です。菊を増やすための挿し木のことです。義賢も三好家を増やすことが善だったんだろうな・・・「昔阿波物語」では義賢を「猛将ではあるが文化とは程遠い人物」として描いています。しかし、実際には茶道を学び妙国寺を創建したりと文化への造詣は深く残した功績も大きいそうです。

習字は、「眼前の」はネチッこく、「敵が悪じゃ!と」は大胆に強く、「菊を挿す」はスッキリと、というつもりで書きました。


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