川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

飛魚 510 亀井茲矩

朝、善福寺川沿いを走ってきました。昨日の雨風のせいか至るところに小枝が落ちていました。

「日本史1200人」510 亀井茲矩(コレノリ;1557〜1612)

安土桃山から江戸時代の武将・大名。尼子氏が毛利元就によって滅ぼされると流浪の身となった。尼子氏再興には強大な毛利軍と寡兵で戦わねばならなかったが、尼子残党は羽柴秀吉の傘下に入り播磨国を転戦した。信長の死後は秀吉の家臣となり「因幡衆」として働き、行政面における手腕を発揮した。秀吉死後は徳川家康に接近し、1600年の関ヶ原の戦いでは東軍に与して、山名豊国を従えて最前線で戦った。戦後、功績によって3万8千石の鹿野藩初代藩主となった。江戸幕府下においては、行政面に手腕を振るう一方で、幕府の朱印状を得てシャムと交易を行なうなど、世界に視野を広げた実業家でもあった。

「残党の飛魚のごと世界まで 亀井茲矩 に 端遊」

飛魚が5月の季語です。飛翔する姿は世界を回りそうです。“残党”というと最底辺層の感じですが、世界まで飛べたのですね・・・茲矩は文禄・慶長の役では水軍を率い、朝鮮でも戦っています。朝鮮での在陣中に鉄砲による虎狩を行い、得た虎を京都の秀吉の元へと送った記録が残されています。

習字は、「残党の」は敗れたように、「飛魚のごと」は勢いよく、「世界まで」はそれなりに、というつもりで書きました。


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