川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

羽抜鳥 519 大友義統

今日は大腸がん術後定期検診なのでランは休みました。これから病院に行ってCT検査などをして来ます。

「日本史1200人」519 大友義統(ヨシムネ;1558〜1610)

戦国から安土桃山時代の豊後の戦国大名、大友氏の第22代当主、大友宗麟の嫡男。家督を継いだが実権は父の宗麟が掌握していた。1578年、島津氏との耳川の戦いで大敗を喫し、以後に家臣団の分裂が始まる。1586年、島津義久による侵攻で滅亡の危機に立たされた。宗麟は豊臣秀吉に嘆願し傘下の大名となり、滅亡を免れた。1588年に秀吉に謁見するため上洛し非常に気に入られ1590年の小田原征伐では豊臣軍の一員として参戦している。1592年、文禄の役に参戦したが翌年、義統は窮地の味方を見捨てた形で撤退し秀吉の逆鱗に触れた。剃髪して死一等は減じられたものの、改易を言い渡された。1600年の関ヶ原の戦いでは、家臣の諫止を退け西軍に味方し、敗れて今度は徳川家から幽閉され流罪に処された。「九州諸家盛衰記」には「不明懦弱(フメイダジャク)」と書かれている。

「気に入られ逆鱗に触れ羽抜鳥 大友義統 に 端遊」

羽抜鳥(ハヌケドリ)が6月の季語です。肌が見えるような寒々しい鳥です。“大敗を喫し”や“逆鱗に触れ剃髪”から連想しました・・・義統は相当に酒癖が悪く、多くの宣教師が「過度の飲酒癖やそれによる乱行が多い」と記しています。子・義乗に残した家訓に「下戸である事」と戒めを記しています。

習字は、「気に入られ」は嬉しく、「逆鱗に触れ」は強く大胆に、「羽抜鳥」は弱く、というつもりで書きました。


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