川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

木下闇 29 フィリッポス2世

 昨日から足が強張っていたので、ランは休みバイクを漕ぎました。シャワーを浴びてから湿布薬を貼ったのですが、歳のせいか疲労はなかなか取れないようです。昨日、中学時代の友から突然メールが届き、ビックリし嬉しくなりました。

「世界史1200人」29 フィリッポス2世(前382〜前336)

古代マケドニアの王でアレクサンドロス大王の父である。ギリシア都市国家テーベに人質として暮らしたが、帰国後王位に就いた。即位した頃のマケドニアは、内憂外患の時代であったが、外交と軍事力で問題を解決し、国を飛躍的に成長させた。しかし、ペルシア出征を前に暗殺された。仲が悪く離婚していた元妻オリュンピアス(アレクサンドロスの母)が、暗殺の黒幕として永く取りざたされている。これについてはアレクサンドロスが関与したという説の他、いくつか有力な説があるため、いまだに曖昧である。

「国を子を強くが仇か木下闇 フィリッポス2世 に 端遊」

木下闇(コシタヤミ)が6月の季語です。太陽が照りつけるところから木陰に入ると、一瞬闇に入ったかと思うときがあります。一瞬のやみの中で暗殺されたのかと思いました。フィリッポス2世は征服した都市にフィリッポイと名付けました。都市に個人名を付けた最初の例で、息子のアレクサンドロスアレクサンドリア市を70以上建設し、今もエジプトやルーマニアなどに残っています。息子のアレクサンドロスの教育にも熱心で、13歳の時にギリシアの哲学者アリストテレスを招き学ばせました。

習字は、「国を子を」はスッキリと、「強くが仇か」は強弱を付けて大胆に、「木下闇」は控えめに、というつもりで書きました。


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蚊 28 アレクサンドロス

 土曜日・日曜日は司馬遼太郎の「俄」を読んでいました。で、朝は海沿いをロングランして来ました。

「世界史1200人」28 アレクサンドロス大王(前356〜前323)

暗殺された父フィリッポス2世に代わり、反乱を平定して20歳で即位する。東征を開始してペルシアのダイオレス3世に勝利し、続いてエジプトも征服した。先陣を切って剣を振るうアレクサンドロスは神がかり的に強く、将兵から絶大な人気を得た。ギリシアからインドのパンジャーブ地方にまたがる大帝国を築くが、疲弊した兵士たちが進軍を拒んだため、いったん引き返すことにした。ところがバビロンまで戻った大王は熱病にかかり、あっけなく32歳の生涯を閉じた。大王は後継者を指名しなかったために、大帝国は分裂し大王の血筋は絶えた。大王が発熱した原因は蚊が媒介するマラリヤと考えられている。

「邪魔する蚊!先陣切って果までの アレクサンドロス に 端遊」

蚊が6月の季語です。ダジャレましたが、大王は果の果までの夢を見ながら死んだと思いました。大王はペルシア王の豪華な生活ぶりに驚嘆し、ダイオレス3世の皇女やバクトリアの王女を娶りました。こうしてオリエントとギリシアの文化が融合して生まれた文化がヘレニズム文化です。

習字は、「邪魔する蚊!」はスッキリと、「先陣切って」は強弱を付けて、「果までも」は消えるように、というつもりで書きました。


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籐椅子 27 ホスロー1世

朝、海沿いをロングランして来ました。久しぶりに快調でした。嫁さんはこれから葬式の花作りのようです。

 「世界史1200人」27 ホスロー1世(?〜579)

イラン・ササン朝21代の王であり、531年に即位する。相次ぐ対外戦争などで国内が荒廃していたため、土地台帳を作成して徴税を整備・強化した。さらに大運河の建設・修復を行ない、交通路や都市を整備し、交易による繁栄をもたらした。また、プラトンの哲学に関心を持っていたためにギリシアの難民たちを自国に受け入れ、「哲人王」の異名を贈られた。チェスやバックギャモンといった知的遊戯によってホスローとインドの大王との友好的外交関係が証明され、また祝福された。

「籐椅子で世界を巡りチェスを指す ホスロー1世 に 端遊」

籐椅子が6月の季語です。籐で作った涼をとる安楽な椅子です。これに座り世界に思いを巡らしながらチェスをしたのでは、と思いました。ホスロー1世の時代、金や銀、ガラス工芸品が大いに栄えました。その工芸品が欧州や中国に輸出され、日本においても、正倉院宝物などにササン朝の影響を受けた工芸品があります。

習字は、「籐椅子で」は曲線で控えめに、「世界を巡り」は直線的に強弱を付けて、「チェスを指す」は子供っぽく、というつもりで書きました。


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競馬 26 シャープール1世

昨日まで3日続けて走ったせいか、今日は起きられませんでした。英語とエクササイズだけして、嫁さんとおしゃべりしてました。

「世界史1200人」26 シャープール1世(?〜272)

イラン・ササン朝第2代の王。260年にはローマ軍をエデッサの戦いで破って皇帝ウァレリアヌス帝を捕虜とした。このときの勝利の記念として、ナクシュ・エ・ルスタムの岩壁に、ウァレリアヌスが馬上のシャープール1世に降伏しているレリーフがある。261年にはカッパドキアに進出したが、都市国家パルミラの抵抗に遭って大敗し、勢力は結局ユーフラテス川以東までにとどまることとなった。東方ではクシャーナ朝と交戦し、これを破ってアフガニスタンに進出している。文化面においてはギリシア、インドの医学や天文学、哲学などに深い造詣を示し、その研究と翻訳を進めた。

「見よローマ競馬の勝利時を越え シャープール1世 に 端遊」

競馬が6月の季語です。平安時代以来の神事だそうです。シャープール1世とローマ皇帝が馬で一騎打ちしているカメオも残っています。何となくペルシア馬の方が強い気がします。宗教面においては、ゾロアスター教を国教に定める一方、242年に預言者のマニと会見し、彼の唱える新興宗教マニ教に強い関心を示して、これを保護しました。

習字は、「見よローマ」はスッキリと、「競馬の勝利」は曲線的に強弱を付けて、「時を越え」は直線的に強弱を付けて、というつもりで書きました。


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薫風 25 ミトラダテス1世

 隣町のランが休みになったので、近くの海沿いをロングランして来ました。3日連続で大丈夫かなと思いましたが、走り切れました。

「世界史1200人」25 ミトラダテス1世(?〜前138)

アルサケス朝パルティア王国の王。別名アルサケス6世ともいわれる。彼のもとでパルティア王国はイラン高原一帯を征服し最盛期を迎え、諸王の王を名乗った。ゆえにミトラダテス1世以前をパルティア王国、以後をパルティア帝国とする資料もある。パルティアによって征服された諸地域からの救援要請を受けたデメトリウス2世は、何度か勝利をおさめたものの敗北し、捕えられ支援した諸都市の街路を引き回され、ミトラダテス1世のもとへ送られた。ミトラダテス1世は彼の身分にふさわしい扱いをし、自分の娘ロドグネを娶らせた。

「薫風に敵も人ぞと王の王 ミトラダテス1世 に 端遊」

薫風が6月の季語です。あまりに爽やかな風に、敵の王に娘を娶らせたと、イメージしました。ミトラダテス1世はミトラ神を讃える名前をもつ最初のパルティア王ですが、それまで公式にされていなかったミトラ神が公認された証拠でもあるそうです。

習字は、「薫風に」はスッキリと、「敵も人ぞと」は強弱を付けて、「王の王」は大胆に、というつもりで書きました。


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黒南風 24 アルサケス

 昨日は初めて町の委員会に参加したことを祝い、遅くまでお酒を飲んでしまいました。で、朝はゆっくり起きて、ゆっくり海沿いをジョギングして来ました。

「世界史1200人」24 アルサケス(前230頃)

アルサケス1世の出自は明らかではない。セレウコス朝ガリア人に敗れたという噂を聞いたアルサケスは弟のティリダテスと盗賊の手勢を率いて、セレウコス朝のパルティア州に侵入し、その総督を殺害し、イラン北東部にアルサケス朝パルティア王国を建国した。さらに軍隊を再編し城砦を築き、ダラという名の都市をアパオルテノン山に建てた。この地は四方を険しい岸壁で囲まれているため守りが固く、一方で周辺が肥沃で泉と森が豊富にあり、狩りもできるため快適な場所であった。老齢のため紀元前211年頃に死去し、息子のアルサケス2世が跡を継いだ。彼以後、全てのパルティア王がアルサケスの名を称号とした。

「黒南風に乗って親分王となり アルサケス に 端遊」

黒南風(ハエ)が6月の季語です。梅雨時の真っ黒な雲に乗って吹く風です。イメージを借り「盗賊が王国を」に掛けました。ところで「ティリダテス1世は紀元前248年頃、アルサケス1世から王位を継承して37年間統治し、紀元前211年に没すると、息子のアルタバノス(あるいは甥のアルサケス2世)に王位を継承させた。」とウィキにあり、チョッと分かりません。

習字は、「黒南風に」はスッキリと、「乗って親分」は勢いよく、「王となり」は後暗い感じに、というつもりで書きました。


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蝿叩き 23 ダレイオス1世

昨夜は、全身が痒くなり眠れませんでした。痕は何もついていないし、嫁さんも同じようで不思議でした。で、朝はゆっくり海沿いを走って来ました。

 「世界史1200人」23 ダレイオス1世(前558〜前486)

カンビュセス2世の側近で後継と称する。奪取した王位を安定させるため、キュロス2世の二人の娘・殺害されたバルディヤの娘・カンビュセス2世の妻と結婚し、王家の血統の独占を図った。全土を20から29の州制として総督を派遣し、さらに「王の目」「王の耳」と呼ばれる王直属の官僚たちにその動きを監視させた。また、軍隊の迅速な移動のため「王の道」と呼ばれる道路網が整備される。さらに、度量衡統一、金貨の鋳造により大帝国の繁栄をもたらした。

「姫漁り耳目素早く蝿叩き ダレイオス1世 に 端遊」

蝿叩きが6月の季語です。王家の妻や娘を総取りして、スパイ網を巡らして「反乱を叩く」に「蝿叩き」を掛けました。ダレイオス1世は簒奪者として王位についた可能性が高く、バビロニア人等の異民族よりも、まずペルシア人の支持を勝ち取る必要があり、そのために称号は、イラン系固有の宗教に基づくものにしたと推定されています。

習字は、「姫漁り」は曲線的に強弱を付けて、「耳目素早く」は細い曲線にアクセントを付けて、「蝿叩き」は大胆に強弱を付けて、というつもりで書きました。


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