川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

僕のアーカイブ2

今日も盆休みで創作は休みます。僕の別の「唄とお面のブログ」から7月4日~7月9日分です。次回まで川柳のみです。

7月4日

朝、隣町に行き二人で楽しく走り・おしゃべりして来ました。今日の川柳は「女たちの20世紀」より、津田塾大学を創設した津田梅子。7歳から10年間アメリカに留学し、更に25歳から3年間留学して、日本女性の自立のため英語学校を開こうと決心する。講演などにより後進女性のための留学基金8000ドルを集め、アメリカで出会った人々等に支えられて、ツダ・カレッジを開設した。
「Hopefully (ホープフリ)言の葉届け夏の雲 端遊 津田梅子に感じて」
梅子は10年間の留学後は日本語を忘れ、封建的な日本の中で孤独だったようです。夏の雲が7月の季語です。島の夏の朝の入道雲には圧倒されます。その雲の上まで届け、そして雨となり雷となり人の心に響け、という思いです。これから嫁さんと海沿いをジョグして来ます。

7月6日

朝、今日も足が吊りそうだったので海は3往復して帰ってきました。今日の川柳は「女たちの20世紀」より、「小公子」などを翻訳した若松賤子。会津若松に生まれ父は1歳の時に捕まえられ、母は3歳の時に亡くなり、過酷な生活をしいられる。6歳の時に横浜の商人に見込まれ養女となり、7歳から女性宣教師による英語塾(後フェリス女学院)に入り卒業して教師となる。肺結核ながら25歳で結婚し3人の子供を授かり、31歳で4人目を妊娠中に火災に会い心臓麻痺を併発して早逝する。
「セドリックのごと愛され合歓の花 端遊 若松賤子に感じて」
セドリックは岩波文庫で33版を重ねた「小公子」の主人公。合歓の花が7月の季語です。合歓の葉は夜になると閉じるので、早逝した賤子に合掌するつもりで選びました。女たちの・・・の中の賤子は暗い感じですが、ウィキペディアなどで調べると本当に愛されるべき人だったと思いました。

7月7日

朝、隣町で二人で楽しく走りました。今日の川柳は「女たちの20世紀」より、女性解放運動家の福田英子。15歳で助教員となり後、母と共に女性のための蒸紅学舎を開くが政府の弾圧に会う。以後、民権・女性解放のために闘う。同志との恋愛と未婚の出産、極貧の結婚生活の中三人の出産・死別、11歳下の同志との恋愛をし「若き人よ恋は御身等の専有ならじ、五十路の恋の深さを知らずや」と歌う。
「向日葵の子宮に潜む熱き種 端遊 福田英子に感じて」
向日葵が7月の季語です。田舎の家の隣に向日葵畑があり、咲いた時の華やかさと枯れた時の凄惨さが印象的でした。英子はまさに向日葵で、情念の活動家というイメージです。時に空回りもあったようですが、子供・学校・本などしっかり実も残したような気がします。

7月8日

今日は嫁さんが小学校で4時間連続で習字を教える日で張り切ってバイクに乗って行き、クタクタになってそれでも楽しそうに帰って来ました。今日の川柳は「女たちの20世紀」より、女性運動家・作家の清水紫琴。京都高女卒業後18歳の頃から民権・女権運動に参加する。そこで同志と結婚し1子設けるが妾がいることから離婚、更に未婚のまま1子を設け、24歳で古在由直と恋愛結婚をし4男1女を設ける。一方で、若い女性に結婚の無意味を説く。
「益荒男の裏よ表よ凌霄花 端遊 清水紫琴に感じて」
凌霄花が7月の季語です。きれいな花ですが蔓性なので他の木にからんで伸びます。紫琴は時代に翻弄されたお嬢さんかなと僕は受け取りました。古在さんは足尾鉱毒の原因は銅であると立証した人で、これを知った時思わず嬉しくなりました。

7月9日

朝、隣町に行こうとした途端に雨が降ってきたので、ランは止めて海で泳いで来ました。今日の川柳は「女たちの20世紀」より東京女子大学学長となった安井てつ。武士の家庭に育ち、女子師範に入り教員となり、イギリスに留学する。服従より信頼を尊ぶ文化に触れ洗礼を受ける。48歳の時、新渡戸稲造に請われ共に東京女子大学を創設し後学長となる。経済的困難・思想的批判にさらされながらも、一歩一歩律儀に、教育の自由・平等を希求する。
「正しきを求め歩まん炎天下 端遊 安井てつに感じて」
炎天が7月の季語です。留学生や障害者にも「手数だ、迷惑だとは何とケチな考えか」と門戸を解放したそうです。句は正直すぎて面白味がないのですが・・・