川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

山笑う 99 藤原基経

 昨日、生きるのは後20年!心身ピンピンは後10年! という思いが迫ってきて、もう一度「生き方≒暮らし方」を考えようと、宇宙・地球・植物と動物・哺乳類・サルとヒト・ヒトの進化・日本人・日本語・日本の歴史・世界の歴史・現代社会のテーマ毎に整理して、僕の生き方に結び付けようと始めました。宇宙や地球は忘れていたこと、知らなかったことが結構有り、すごく面白い作業でした。

「日本史1200人」の第99番の藤原基経(836〜891)です。

摂政であった叔父・藤原良房の養子となり、良房の死後、清和天皇陽成天皇光孝天皇宇多天皇の四代にわたり朝廷の実権を握った。妹の子である陽成天皇を暴虐であるとして廃し、謙虚な性格の仁明天皇の第三皇子を光孝天皇として即位させ、日本史上初の関白に就任した。次の宇多天皇も大政を基経に委ねる事とし「宜しく阿衡の任を以て、卿の任となすべし」との詔をした。阿衡とは中国の故事によるものだが、これを文章博士が「阿衡には位貴しも、職掌なし」と告げたため、基経は政務を放棄してしまった。結局、天皇が自らの誤りを認める詔を発布した(阿衡事件)。これにより藤原氏の権力が天皇よりも強い事をあらためて世に知らしめる事になった。

「気分屋のふりしてフンと山笑う 藤原基経 に感じて」

山笑うが3月の季語です。春の山々が明るく芽吹き始めた様子です。山を天皇より強い基経に、笑うを藤原家の繁栄に掛けました。基経はなおも阿衡の詔を起草した広相を流罪とする事を求めましたが、菅原道真が書を送って諫言して収めました。なお、阿衡は辞書には「摂政・関白の異称」とあり詔は正しそうです。

習字は、「気分屋の」はチョッと怒ってバラバラに、「ふりして」はチョッとねちっこく、「フンと」は鼻で吹き飛ばす感じ、「山笑う」はふてぶてしく、というつもりで書きました。


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