川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

稲妻 72 スラ

 朝、一人で海沿いをロングランして来ました。バイクのカバーを洗ってから、シャワーを浴びて体重を測ったら52.5kgと先週より0.4kg減っていました。少し多く食べたつもりでしたが・・・今日は、町長の退任式があり、出席するつもりです。

「世界史1200人」72 スラ(前138〜前78)

共和政ローマ期の軍人・政治家。旧来は閥族派の指導者として、マリウスら民衆派と抗争を繰り広げたと解釈されてきたが、現在ではそのような単純な二極化は存在しないと考えられている。スラは周辺諸国との戦後処理が一段落つくと、再度のローマ占領へ向けて動き出した。マリウス・キンナらを相次いで失った民衆派は小マリウスらに率いられていたが、スラはポンペイウスらと合流してこれを破り、翌紀元前82年に再びローマに入り、膨大な数の元老院議員や騎士を処刑した。両派の争いは短期間に3度もの首都占領と粛清を引き起こし、ローマの多くの人材が失われる激しい内戦となった。スラは支配体制の要として120年間使用されなかった独裁官への就任を宣言し、閥族派復権を図り、様々な制度変更を行った。スラ体制はユリウス・カエサル、及びアウグストゥスによる帝政ローマの始まりまで続く秩序となった。

「稲妻や独裁官の謀(ハカリゴト) スラ に 端遊」

稲妻が8月の季語です。雷鳴もせず電光だけが走ります。スラの独裁官の宣言と制度変更はまさに稲妻のようです。紀元前79年に公職を離れてからは、別荘で妻の目も憚らず娼婦・男婦を傍において気侭に暮らしました。しかし晩年に内臓器官の疾患により蛆が体に住み着く奇病を患って急速に衰弱してしまい、程なく病没しました。

習字は、「稲妻や」はスッキリと、「独裁官の」はくどく、「謀」は大胆に、というつもりで書きました。


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