川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

夷講(エビスコウ) 103 ユリアヌス

朝、 台風18号のせいで天気が不順なので家でバイクを漕ぎました。雨が時々降り、植物は喜んでいるようです。

「世界史1200人」103 ユリアヌス(332〜363)

ユリアヌスは帝位に就くと、キリスト教の異端も認めた。この改革の目的は、かつての伝統に回帰することであった。「異教」が中心となる世界を目指していたのである。そのために、市民の皇帝というイメージを再構築しようと試みた。ユリアヌスの描く皇帝像はシンプルなものであり、威張らず、豪奢にせず、市民と身近な存在であった。一方でキリスト教への優遇政策を廃止している。彼は弾圧などの暴力的手段に訴えることなく、「異端」とされた者たちに恩赦を与え、キリスト教内部の対立を喚起し、巧妙に宗教界の抗争を誘導した。ユダヤ教エルサレム神殿の再建許可を出したのもそのためであった。これらの行動により、永くキリスト教徒からは「背教者 」の蔑称で呼ばれることになる。

「夷講(エビスコウ)大いに祝え背教者 ユリアヌス に 端遊」 

夷講(エビスコウ)が10月の季語です。商売繁盛の神様・夷の祭りです。ユリアヌスは夷も認めたと想像しました。彼はサーサーン朝へ遠征しましたが、投槍を受け陣中で没しました。死に際して「ガリラヤ人よ、汝は勝てり」と言葉を遺したという伝承があります。ガリラヤはナザレのイエスが宣教を始めた場所です。チョッとキリスト教側からの伝承のような感じです。

習字は、全体にあくどい感じで、「夷講」は直線的に、「大いに祝え」は大胆に、「背教者」は曲線的に、というつもりで書きました。


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