川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

熊 170 平重盛

 朝、一人で海沿いをロングランして来ました。シャワーを浴びて体重を測ると53.1kgと先週より0.3kg増えていました。便秘の分増えたのかな・・・嫁さんは今年最後の習字指導に行きました。終業式の後にするとのことで、子供たちは一張羅を着ているので、Tシャツを14枚持って行きました。

「日本史1200人」170 平重盛(1138〜1179)

清盛の長子。保元・平治の乱で活躍する。特に平治の乱では、味方の士気を鼓舞し、馬を射られながらも新たな馬に乗り換えるなど獅子奮迅の活躍をする。しかし、政治的には嫡男ではあったが継室の時子の子である宗盛や徳子とは母が異なり有力な外戚の庇護はなく孤立気味であった。平氏一門の中で最も後白河法皇に近い立場にあり、鹿ヶ谷の陰謀後の清盛の後白河法皇への厳しい対処を諌めたが、一方で、陰謀の主謀者が正室・経子の兄・藤原成親であったため、さらに一門のなかで孤立を深めた。清盛の後継者として期待されながらも、父に先立ち病没した。重盛の死により、清盛と後白河法皇の対立の歯止めが失われた。また、重盛を支えていた伊勢平氏は左遷され、さらに重盛を介して平氏政権と通じていた東国武士の動揺も激しくなった。このような中で源頼朝の挙兵を迎えてしまう。

法皇を助けて孤独熊病気 平重盛 に 端遊」

熊が12月の季語です。戦いには強いが政治に弱い、重盛はチョッと孤独な熊のようです。勤皇思想が広まった江戸時代後期になって、重盛は後白河法皇を庇って父・清盛を諌め、そのため命をすり減らしたという伝承から、万里小路藤房楠木正成と共に「日本三忠臣」として高く評価されるようになりました。

習字は、「法皇を」は幼く、「助けて孤独」は強弱をつけて、「熊病気」はとぼけて、というつもりで書きました。


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