川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

鷽(ウソ) 219 後鳥羽上皇

 朝、少し雨模様でしたが、一人で海沿いを走って来ました。小雨でも気温は確かに春が近づいた感じです。

「日本史1200人」219 後鳥羽上皇(1180〜1239)

82代天皇高倉天皇の第4皇子。後鳥羽天皇は19歳で土御門天皇に譲位し院政を始めた。新しい親衛隊「西面の武士」を設置するなど朝廷政権を復活させようと準備を進めた。そして1221年、源実朝が頼家の子・公暁に殺され、源氏の直系が途絶えると、それを好機ととらえ挙兵した(承久の乱)。上皇は討幕の院宣を出せば東国の武士は朝廷側につくと妄信していたが、鎌倉幕府の結束は固く1ヶ月で乱は平定された。後鳥羽上皇は恭順を示したが許されず、隠岐に配流され、西国に多かった上皇方の領地は没収され、朝廷の権威は失墜した。壱岐在島19年後、60歳で病没した。

院宣じゃ幕府を討て!と鷽(ウソ)である 後鳥羽上皇 に 端遊」

鷽(ウソ)が3月の季語です。春の深山で美しい声で囀ります。「妄信」そして「恭順」のダジャレです。壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した際、神器のうち宝剣だけは海中に沈みました。皇位の象徴である三種の神器が揃わないままの治世は、後鳥羽天皇にとって一種のコンプレックスであり、これを克服するために強力な王権を示す必要があり、承久の乱の遠因になったとする見方もあります。後鳥羽上皇歌人としての評価が高く、勅命で「新古今和歌集」を編纂させています。

習字は、「院宣じゃ」は幼く、「幕府を討て!と」は強く、「鷽である」は大胆にとぼけて、というつもりで書きました。「鷽」を薄墨にしたら思わぬ濃淡が出て、嫁さんも感心してくれました。


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