川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

秋刀魚 364 千利休

 朝、隣町に行き、二人でいつものコースを楽しく走り、おしゃべりして来ました。島にはホテルが無くなったので、お客さんが泊りがけで来た時には困るようになりました。

「日本史1200人」364 千利休、宗易とも(1522〜1591)

堺の商人で茶人。武野紹鴎に師事し、わび茶を完成して茶の湯を大成させる。利休が設計した茶室は二畳であり、狭く低い位置に作られた入り口から入室するには、刀を外し平身低頭しなければならない。茶、で交流する人々は、身分・貧富の差なく対等であるという意味である。茶人として名声と権威を誇り、秀吉の政事にも大きく関わり、大友宗麟豊臣秀長から「公儀のことは私に、内々のことは宗易(利休)に」と忠告された。織田信長豊臣秀吉に仕えたが、秀吉の怒りにふれ自刃を命じられた。原因は「自身の雪駄履きの木像を楼門の2階に設置し、その下を秀吉に通らせた」とする説が知られているが、「秀吉が黄金の茶室にて華やかな茶を点てさせた事に、不満を持った利休が信楽焼の茶碗を作成した」など、さまざまな説があり、詳しくは分かっていない。

「茶室では皆んなが秋刀魚でも死刑 千利休 に 端遊」

秋刀魚が9月の季語です。秋の大衆魚です。対等・平等のシンボルとして使いました・・・利休の死後、本家は実子・道安が継ぎましたが断絶しました。その後、利休の後妻の連れ子である少庵と、その子の宗旦が千家を再興し、宗旦の3人の子がそれぞれ千家の茶を受け継ぎました。

習字は、「茶室では」はスッキリと、「皆んなが秋刀魚」は幼く、「でも死刑」はフワリと、というつもりで書きました。


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さて、日本史2章が終わったので、世界史に行きます。