川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

初泣き 412 大崎義隆

朝、海沿いを走ってきました。老いとの闘いと思った昨日とは全然変わって、久しぶりに快調に走りました。帰ってシャワーを浴びて体重を測ったら55.7kgと先週より0.2kg減っていました。

「日本史1200人」412 大崎義隆(ヨシタカ;1548〜1603)

大崎氏第12代当主、陸奥国大崎地方の戦国大名。19歳で当主となった当初は、伊達氏・最上氏・蘆名氏と親交があったが、東隣の葛西氏とは紛争が絶えなかった。1586年に大崎氏で内紛が勃発すると、家督を継いだ伊達政宗が介入し大崎合戦に発展した。一時大崎軍は主城の中新田城を守り抜き有利となったが、以後は伊達軍の一員として戦うこと等を条件として和睦した。一方この時期、天下統一を目前にした豊臣秀吉の意を受けた上杉景勝が、万事をなげうち上洛すべきだと勧める書状を出した。政宗は参陣したが義隆はしなかったために、奥州仕置で取り潰された。

「合戦かフッと初泣き仕置です 大崎義隆 に 端遊」

初泣きが新年の季語です。初笑いと対であります。大崎合戦に続いて小田原合戦を思うと、フッと魔が差したのでは・・・この後の義隆の行方については、断片的にしかわかっていませんが、大崎左衛門なる人物と考えられています。左衛門は1593年に石田正継(三成の父)に宛てて、宿舎をとってもらった礼を述べ、三成の様子を知りたいなどと書きました。三成は大崎氏に同情的で御家再興を支援していたものの、再興は実現しませんでした。

習字は、「合戦か」は力なく、「フッと初泣き」は悲しく、「仕置です」は我慢して、というつもりで書きました。


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