川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

春の風邪 434 長野業正

朝、海沿いを走ってきました。足のつりは、マッサージ器の使用と、布団の下にマットを敷いたことでだいぶ楽になりました。

「日本史1200人」434 長野業正(ナリマサ;1491〜1561)

関東管領山内上杉家の家臣、長野信濃守、上野国箕輪城主、戦国時代の武将。上杉憲政北条氏康に大敗した河越夜戦にも参戦した。江戸以降の軍記物では、1557年から甲斐国武田信玄が侵攻を開始すると、業正は2万余の大軍で迎え撃ち、籠城して守りを固めて遂に武田方の侵攻を挫き、その後も防衛戦を指揮し、6次にわたる侵攻を全て撃退したという。主君の憲政が氏康に敗れて上野を追われた後も、上杉家に義理を立て上野国の支配を守った忠臣と伝わる。しかしこれらの事績については学術研究の進展により不確かなものになっている。

「信玄は ま!ライバルじゃと春の風邪 長野業正 に 端遊」

春の風邪が2月の季語です。昼夜の温度差が大きいので、油断して引いてしまいます。軽口をチョッと叩いてハクション・・・死去する前、嫡男の業盛に「・・・我が法要は無用。敵の首を墓前に一つでも多く供えよ。敵に降伏してはならない。運が尽きたなら潔く討死せよ・・・」と遺言したといいます。

習字は、「信玄は」は強く、「ま!ライバルじゃと」は格好つけて、「春の風邪」はとぼけて、というつもりで書きました。


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